西馬音内盆踊り

国指定重要無形民俗文化財(昭和56年1月21日)


 秋田県雄勝郡羽後町西馬音内に古くから伝わる盆踊りである。

 毎年8月16日から18日の三夜、西馬音内の本町通りに篝火を焚き、彦三頭

巾という顔をすっぽり覆う黒い頭巾や編み笠を深くかぶって顔を隠した踊り手

たちが、軽快な、それでいて力強い独特の囃子に合わせて、手付き身振りし

なやかに優美な舞を披露する。

 起源は記録によるものはなく、従って定かではないが、伝承によると、今から

およそ700年以上前の正応年間(1288〜93)に源信という修行僧が蔵王権現(現.

西馬音内御嶽神社)を勧請し、境内で豊年祈願として踊らせたという説と、それ

が、慶長6年(1601)西馬音内城主.小野寺茂道一族が滅び、遺臣たちが主君を

偲び、宝泉寺(西馬音内.寺町)境内で旧盆の16日から20日までの5日間、行わ
  もうじゃ
れた亡者踊りと合流したという説がある。

☆以下は、西馬音内盆踊り保存会顧問の小坂太郎氏.記

週刊朝日百科「日本の祭り」NO.10「江戸期の上方文化が色濃く残る」より。

 この踊りは「音頭」と「甚句」からなり、音頭は甚句に先立って踊られ、豊年踊りに

ふさわしく明るくにぎやかである。甚句は別名「がんけ」とも呼ばれ、亡者踊り.念仏

踊りの流れをくみ、哀調をおびている。

 また彦三頭巾と呼ばれる黒い覆面や編み笠で顔を隠すため、幻想的な、また神秘

的な雰囲気がかもし出される。

 この踊りの衣装に、「端縫い」と手しぼりの「藍染め浴衣」がある。端縫いは、色と

りどりのさまざまな絹の端切れを集め、配色や図案の組み合わせを工夫し、それを

継ぎ合わせたものである。藍染めは、個性豊かで変化に富んだ柄が考案されている。
                        つづみ.かね
 囃子は横笛.三味線.大太鼓.小太鼓.鼓.鉦で演奏される。活気があって土の匂

いのするこの囃子とは対照的に、流れるようにゆるやかで能の仕舞を思わせる優雅

な踊りが特色になっている。

 その起源については、記録されたものは残っていない。ただ、手をたたいたり、跳ね

ねたりする仕草がなく、しなやかな手ぶり足ぶりで大地を摺るように進むところから、

能狂言の基本と同じ動きに通じ、上方文化の色濃い影響をみることができるようだ。
                きたまえぶね
 寛文年間(1661〜73)に、北前船による日本海側の西回り航路が開かれた。土崎港

(秋田市)に送られてきた京.大阪からの物資は、さらに雄物川の河川交通によって、
                    うのす
内陸部にある大型船の終着地.鵜の巣港(羽後町北部)まで運ばれた。ここから2キロ

ほど離れている西馬音内は、約300年前から市場が開かれ、商業地として栄え、商業

地主を生み出してきた。

 物資とともに、上方の文化も浸透してきて、一種の地主文化が発達してきたのではな

いか、と考えられる。歌舞伎.謡曲.能の仕舞などを地域に普及させたり、村民の慰安

のために盆踊りを保護してきた地主も少なくない。さらに昭和10年(1953)4月、東京

の日本青年館で行われた全国郷土舞踊民謡退会出場が、大きなエポックとなった。女子

青年団から選抜した踊り子を対象に、これまで行われてきた踊りの振りや衣装などを再

創造し、特訓によって洗練したものに仕上げといわれている。
                                    
 以来、盆踊り期間には遠くへ嫁いだ娘も帰省して西馬音内女性に還り、先祖の精霊と

交わり踊り継ぐことによって、いのちの篝火を燃やしつづけてきたのである。

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